ガイドコラム

近代登山100年と歩む好日山荘 VOL.01 「明治時代の山登りを探る」

 

令和元年(2019年)はもう年末、近代登山100年余の大正・昭和・平成を生き続ける「好日山荘」は95歳になりました。

好日山荘が産声を上げる前、江戸時代が終わった1868年から1912年まで45年間続いた明治時代の登山を古い書物から探ってみました。

江戸時代から続く宗教登山の延長線上に、イギリス人など外国人がもたらす情報を取り入れて地質・鉱山学や植物博物学面での入山が進み、リュックサック・ピッケル・天幕・コッヘルなどを模倣製造が始まった時代です。明治の終盤には日本山岳会会員など日本人による日本アルプス探検登山が隆盛しました。陸軍陸地測量部による5万分の一地形図と鉄道交通網の充実が進んでいく、現代につながる大衆登山の夜明け前といった時代です。

最初に紐解いたのは『登山の小史と用具の変遷 西岡一雄著 昭和33年(1958年) 朋文堂発行』です。続いて『近代日本登山史 安川茂雄著 昭和51年(1976年)四季書館発行』『日本登山史 新稿 山崎安治著 昭和61年(1986年)白水社発行』の中から興味を引く出来事を書きくわえて下記に記してみました。

昭和33年、62年前発行です。

著者の西岡一雄は明治19年(1886年)生まれ、大正13年(1924年)大阪で登山とスキー具の専門店「好日山荘」の創業者です。

    西岡一雄近影 京都青谷にて 撮影者:大賀寿二『登山の小史と用具の変遷』より
  • 明治元年・慶応4年(1868年):アーネスト・サトウら外国人が富士山登頂する。1860年に初代イギリス公使ラザフォード・オールコックが富士山外国人初登頂か?

  • 明治3年(1870年):ウイリアム・ガウランドが大阪造幣局に招へい

  • 明治4年(1871年):講中登山として、芦安村名取直江が白峰北岳を開山

  • 明治6年(1873年):アーネスト・サトウ、ウイリアム・ガウランドらが六甲山に登る

  • 明治7年(1874年):内務省地理局発足、全国の三角測量が始まる。台湾にて宮古島琉球御用船が遭難、殺害される「牡丹社事件」があり出兵。清国との処理過程で琉球(沖縄)が実質的に日本帰属が決まった。

  • 明治8年(1875年):ドイツ人地質学者エドムント・ナウマン来日

  • 明治9年(1876年):伊豆大島三原山噴火し、地震・鉱山学者ジョン・ミルンと学者ナウマンらが来島。京都~大阪間の鉄道開通。

  • 明治10年(1877年):大阪~神戸間の鉄道開通。西南戦争

  • 明治11年(1878年):外国人登山家が靴底に草鞋を重ねて登山。西岡氏が後年明治42年(1909年)に富士山登山のおり、多くの外国人登山者は同様のスタイルであった。

  • 明治13年(1880年):小島烏水著『アルピニストの手記』によれば、日本人が初めて登山靴を見る。ミルンによる「日本に於ける氷河時代の遺跡」講演が行われた。

  • 明治14年(1881年):ガウランドによる「日本アルプス」命名。ウォルター・ウェストンの『日本アルプス』は後年明治29年(1896年)出版

  • 明治18年(1885年):ナウマンがベルリンにて「フォッサ・マグナ」を発表。1883年の富士山頂からの展望から着想。

  • 明治19年(1886年):講中登山として、芦安村名取直江が赤石岳・奥西河内岳・悪沢岳を開山。

  • 明治21年(1888年):会津磐梯山噴火。濃尾大地震発生。ウォルター・ウェストンの来日。

  • 明治24年(1891年):『日本旅行案内』初版(九版まで)この頃には東京~神戸間の鉄道開通

  • 明治27年(1894年):志賀重昴(しがしげたか)『日本風景論』が出版、(明治35年十四版まで)ウェストンは常念岳登山のおり、天幕を張り、コッヘルを使用している。ロシアによる南下侵略を防ぐのに必要な朝鮮半島の独立をめぐって日清戦争が勃発。

  • 明治28年(1895年):野中至は冨士雪中登山、同年10月から気象観測、12/21に八十二日間の観測後下山。日清戦争勝利、下関条約により台湾統治始まる(1945年迄の50年間)

  • 明治29年(1896年):台湾新高山(玉山3952m)が初登頂

  • 明治34年(1901年):『冨士案内』野中至著が出版される。

  • 明治35年(1902年):青森歩兵第五連隊の八甲田山遭難。山崎直方による氷河地形「カール」観察と《氷河果たして日本に存在せざりしか》という論文発表。白馬雪渓で鉄カンジキ使用

  • 明治36年(1903年):小島烏水(本名は久太)とウェストンが初めて会う。ピッケル初見、ルックサック、アルパインストック、ロープを見る。肩掛けカバンで登っていた。

  • 明治38年(1905年):『日本山水論』小島烏水著が発刊、これは志賀重昴『日本風景論』の影響受けた山岳論で登山家に大きな影響を与えた。10/14に日本山岳会設立。日露戦争勝利。

  • 明治39年(1906年):『日本山岳志』高頭(たかとう)仁兵衛(本名は式 しょく)著が発刊、登山技術、山岳諸説、地名、地形構造論など学者・登山家の共同執筆。縦走登山が広まる。

  • 明治40年(1907年):1月の寒中富士登山で四本爪カンジキと長杖の鳶口で使用。登山者の多くは地質学・昆虫植物の博物目的。陸軍陸地測量部柴崎芳太郎らが測量で越中剣岳登頂。

  • 明治41年(1908年):東京で日本最初の山岳展覧会が開かれた。展示物「アルプス山登りの帽子と靴、氷河渡りの杖」日本アルプス探検登山の黄金期へ。

  • 明治42年(1909年):嘉門次案内で穂高岳から槍ヶ岳へ縦走。スイス土産のピッケルを基に西岡が日本橋堀留の鍛冶屋でつくらせたのが国産第一号。築地の船具業片桐でアルプス土産を基にルックザック製作。6/1「山岳会」は「日本山岳会」へ改称。

  • 明治43年(1910年):『氷河と万年雪の山』小島烏水著で、《北アルプス、南アルプス、中央アルプス》を分類。社会人山岳会神戸草鞋会が発足し、機関誌『ペデスツリヤン』を発刊。

  • 明治44年(1911年):オーストリアのレルヒ少佐が高田連隊に軍隊用スキーとスキー術を伝える。中央線が東京から名古屋まで全盛開通。『山岳七ノ二』に登山用具の広告が初めて掲載

  • 明治45年・大正元年(1912年):西岡氏がスイス土産のルックザックを見本に神田錦町のかばん屋でルックザックをつくらせた。

『登山の小史と用具の変遷 西岡一雄著』 『近代日本登山史 安川茂雄著』 『日本登山史 新稿 山崎安治著』から引用。

発足当初は「山岳会」であった。後に「日本山岳会」と名称を変えた。

富士登山の指南書でもありながら、気象観測の重要性を訴えている。
英文の「日本旅行案内 4版 1894年発刊」
高頭式『日本山岳志』
日本山水論 明治38年 小島烏水著
1894年発刊 4版
日本山水論
第13版『日本風景論』
山岳会設立にあたって
『日本山岳志』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この記事を書いたのは「ガイド 加藤智二」

ガイド 加藤智二

公益社団法人日本山岳ガイド協会 認定山岳ガイド
日本プロガイド協会
日本山岳レスキュー協会所属
国立登山研修所講師

1960年生まれ。高校では小学校から続けるサッカーに没頭、キャプテンを務めました。
住み込みで新聞配達をしながら専門学校に通い、一人で山を始めました。卒業後、社会人山岳会に入り沢登り、岩登り、冬山など本格的に登山を開始、84年にネパールを皮切りにパキスタン、中国へ海外登山を行いました。
冬山登山や岩登りも行いますが、植物・地質など自然全般が大好きで、写真撮影も得意としています。
広範囲な登山を目指すことをモットーとしています。
現在は国立登山研修所講師や公益社団法人日本山岳ガイド協会などの事業への協力を行っています。

≪主な海外山行≫
■パキスタン ガッシャーブルムⅡ(8035m)
■中国 チョーオユー(8201m)
■日本・中国・ネパール三国合同チョモランマ・サガルマータ(8848m)

≪関連ホームページ・ブログ≫
■好日山荘登山学校校長のご挨拶

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