ガイドコラム

近代登山100年と歩む好日山荘 VOL.04 「グラビア雑誌 昭和3年(1928年)にみるウインタースポーツ」

 

交通手段も山小屋も事情が全く現在と異なる昭和初期の冬のレジャーはどんな感じだったのでしょうか?

探っていく中でグラフィック雑誌「アサヒグラフ昭和3年(1928年)2月1日 第10巻 第6号」を見つけました。

なんと表紙は雪山を背景に可愛いニット帽姿のスキー女子です。

アサヒグラフ昭和3年2月1日 表紙

この頃、山岳の世界では、

大正13年(1924年)に発足したロッククライミングクラブですが、昭和2年(1927年)にR.C.C報告1号が発刊されました。

R.C.C.報告は1号から5号まで発刊されました。

昭和4年(1929年)6月に関西学生山岳連盟が結成され報告1号が発刊、昭和12年(1937年)8号まで発行されました。

関西学生山岳連盟報告1930~1937 (1号~7号)

昭和8年(1933年)6月号発刊、大阪好日山荘の隣部屋で「ケルン」が発刊されます。

「ケルン合本」

さて、アサヒグラフでは信越のスキー場やウインタースポーツを紹介しています。楽しそうなスキーシーンが紹介されています。

豪雪の様子を見ると生活面から考えればまさに闘いといった感じですが、雪を楽しんでしまえ!といった感じもあります。

第2回冬季オリンピックがサンモリッツで開催された年です。

好日山荘が創業した大正13年(1924年)は登山とスキーといったレジャーが日本社会に根付き始めた時期だったのがわかってきました。

 

当時の雪山登山はスキーを活用するのがあたりまえという感じです。

装備・食料事情はアルプス雪山登山であれば、登山期間も長く、前もって山小屋に運び込んでおく必要もありました。人夫を雇うなどが普通に行われていました。

当時の装備は現在と違い大変重たい物でした。基礎体力も高く、1日の行動範囲も大きかったです。この点も改めて掘り出してみたいと思います。

大学生山岳部も活発であった一方、加藤文太郎やR.C.C(ロッククライミングクラブ)など社会人登山家が気を吐いていた時代でもあります。

Yahooニュース/個人/ライフ/加藤智二 ⇒ こちら

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この記事を書いたのは「ガイド 加藤智二」

ガイド 加藤智二

公益社団法人日本山岳ガイド協会 認定山岳ガイド
日本プロガイド協会
日本山岳レスキュー協会所属
国立登山研修所講師

1960年生まれ。高校では小学校から続けるサッカーに没頭、キャプテンを務めました。
住み込みで新聞配達をしながら専門学校に通い、一人で山を始めました。卒業後、社会人山岳会に入り沢登り、岩登り、冬山など本格的に登山を開始、84年にネパールを皮切りにパキスタン、中国へ海外登山を行いました。
冬山登山や岩登りも行いますが、植物・地質など自然全般が大好きで、写真撮影も得意としています。
広範囲な登山を目指すことをモットーとしています。
現在は国立登山研修所講師や公益社団法人日本山岳ガイド協会などの事業への協力を行っています。

≪主な海外山行≫
■パキスタン ガッシャーブルムⅡ(8035m)
■中国 チョーオユー(8201m)
■日本・中国・ネパール三国合同チョモランマ・サガルマータ(8848m)

≪関連ホームページ・ブログ≫
■好日山荘登山学校校長のご挨拶

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